子育てにおいて必要なことは子供を全肯定する気持ちです 子供の自立とは



子育ては、我が子を想い一生懸命になればなるほど常に悩みや壁に遭遇し、ひとつ落ち着いたと思ったらまた次の問題が…と思うこともしばしば。

それは子供が小さなときは躾であったり、小学校にあがれば勉強や友達との人間関係、中学になると多感な年ごろという事で、声をかけることにも言葉を選ぶようにもなってきます。
僕も妻と共に「子育ての難しさ」について頭を悩ませることが多々あります。

こんな悩みをもつ親は多くいるでしょう。
そして現代の学校や社会では僕らが子供の頃よりもずっと深くて難解な問題がいろんなところに潜んでいます。

そして今の子供たちに必要な事は何かを
親である僕たちが子育ての中で子供に学ばせることが重要になってきます。

では今の子供たちに必要な事はなんでしょう?

今回は先日僕が運営しているサッカースクールで感じたことを紹介しようと思います。

Contents

子供社会のやったやられた問題

全文を紹介します。

いつもお世話になっております。
最近TR(トレーニング)の動画編集をしていると自分の見えない所でもいろいろと子供達の成功、失敗、チャレンジが発見でき、それと共に様々な子供社会の一場面も見ることができます。
その中で
「やった⇔やられた」
「言った⇔言われた」
などのやり取りもあったり、
一方的に相手を責める場面
人のせいにする言葉もあります。

親として我が子に目がいきますし、我が子の悪い部分を正したいと思う気持ちはよくわかります。自分も親の立場で我が子を見る時は皆さんと同じ気持ちで子供の習い事を見ています。

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子供にどうやって自立させるか

僕がこのスクールを始めた理由のひとつに
子供達がサッカーを通じて
自分で考える力を養うこと
があります。言い換えれば「子供達の自立」という事です。

今までいろんなスポーツの現場を見てきましたが、そこにあるのはコーチや監督、観戦している親の命令で動かされる子供達でした。自分の失敗や間違いを否定され
「大人に怒られないようにプレーする」
ようになった子供はどういう大人になるでしょうか?人に言われた事しかできない、俗に言う指示待ち人間なんですね。そこに子供達の自立はあるでしょうか?

例えばサッカーの試合をしている時によく子供達はボールに密集します。それは子供達がまだサッカーというスポーツを知らないからです。広がってスペースを使うことや味方を使って攻撃することなど、知っている子はそこに気付き徐々に味方と攻撃する事をしようとしていきます。知らない子は時間がかかります。これは家でサッカーを見てくださいと言っているのではなく、文化の問題です。
よく少年サッカーの試合ではやみくもに大人が「広がれ!」「パスだ!」「シュートだ!」と子供に指示している場面がありますがそれが成功しても失敗しても子供達にとっては「怒られないようにプレーしている」だけになってしまうんですね。なぜ広がった方がいいのか、なぜパスした方がいいのか、子供達には技術以上に考える力が必要なんです。

スポーツは現代社会の問題を解決するツールのひとつ

サッカーの試合を見ていると戦い方だけでなくフェアプレーやラフプレーも同時にわかってきます。この点については徐々に子供達に伝えていきたい部分です。
今日動画を見ていてそんな事を思わせる場面がありました。恐らく感情的になり間違った行動や言動をしてしまったと思います。親としてはやった、やられた現場を見たら当然やるせない気持ちになります。

でも、そこを頭ごなしに否定しないでほしいんですね。それはサッカー(スポーツ)においてやってはいけないことだとルールとしてあるからです。そしてルールに沿ってチームとして試合をする、試合が終わったらそれまでの感情は水に流し健闘を讃え合う。

このスクール内では
相手の気持ち、自分の感情、するべきこと、やってはいけないこと、チャレンジ、失敗、成功、その全てを肯定します。それは全て子供の自立に繋がっていきます。

ですので、子供達にもその日のTRの結果だけを評価するのではなく、我が子の(可能なら他の子の)1年後、5年後、10年後、30年後をみてあげてほしいと思っています。

嬉しいことにこのツイートに反応してくださった方のご意見です。

育てることは形が見えない

子供の自立については形として見えるものではないので子育ての実感もわかないと思います。
でも子供が大きくなった時に
「親によく叱られた」という思い出しかない子供と
「親から信じられていた」という実感のある子供。

親として我が子がどういった大人になってほしいか。
20年後、30年後にその答えが出てくるんですね。

 

また教育熱心だからこそそのバイアスが違う方向に向かってしまうと子供の考える、判断する力がなくなり親が言った事しかできないという事はよくある話です。
これは指導の現場でも同じで熱血指導が過ぎてあれこれ教え過ぎてしまう指導者と同じです。

この子についても、家で褒められてないんだなと思わせる行動が多いです。
恐らくスクール内では親の目もあり
「礼儀正しくしなさい」
「ちゃんとやりなさい」
といった親の命令をただ聞いているだけのような感じがします。

まとめ

現代の子育てにおいて褒める、認める、(良いことか悪いことか、またその結果どうなるのかを)判断させるという事をせずに、自己肯定感という部分が欠けてしまって成長してしまうと物事の判別がつかず
このような成長の過程になってしまうということ。
もちろん成長過程ですので
この先いくらでもやり直しはききます。



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